尾上祐一

1969年9月17日東京で生まれる。幼い頃からステレオで音楽に慣れ親しむが、 運がいいのか悪いのか、当時あったレコードターンテーブルは33回転と45回転の 他に16回転と78回転が有ったために、様々な再生速度で音楽を楽しむことが出来、 これは音楽の感受性を広げるという点において素晴らしい効果をもたらした。更 には、親から酷く叱られながらも逆回転、スクラッチといったことも試みていた (勿論、当時ヒップホップとか知るわけがない)。また、電子工学の興味から短波ラ ジオリスニングやハムを始め、そこから聞こえてくる世界の民族音楽や フェージングによる天然エフェクト、ノイズそしてSSBの バッドチューニングによる音程の狂いといったことが、更なる音響、音楽的栄養素として 取り込まれた。 小中学生のときは、近所の都営住宅の急進的な子供達との交流から、科学系、破壊系、創造系、 秘密基地系、遺跡発掘系、火遊び系、電波系、単なるバカ系など、所謂ツッパリ(死語か?) とは違うパンキッシュでありながら知的な彼らに多大な影響をうけた。
 中学になるとテープレコーダ2台を駆使してオリジナル曲の多重録音を始める。 この頃ノイズと発振音を組み合わせて楽音を作り出すシンセサイザに魅せられ、 ローランドJUNO106型シンセを購入した。当時から、オリジナル曲をやっていて、 他人の作品から影響を受けながらも、自分ならではのサウンドを作ることに躍起になって いた。
my face  大学生時代は、旧友プレジデントH松園氏とともに音楽プロジェクトPGFBを結成 しアルバム2枚を制作。UK・EDISONで当時としては破格値の300円と40 0円でうる。また、もう時効だから言うが当時は、彼と持ち前の電子工作技術を生か して放送送信機を作り、ラジオバリ、VOFR といった海賊地下FM放送局をやっていた。勿論、自分の曲や好きな曲を掛けていた。
 92年、ヤマハ主催のテープサウンドコンテストに応募し5、6千の応募の中から ヘヴィメタルという曲 が最終審査まで通ったようだが、そこで落選した。因みに審査員は、鳥塚しげき(ワン ツーどんのお兄さん exワイルドワンズ)向谷実(カシオペア)松茸秀樹(YMOのマ ニピュレータ)の各氏であった。ある意味では当然の結果なのかも知れないが、この曲 を入賞させようとしたヤマハの勇気に期待しただけに残念だった。
92年に電子楽器メーカーに入社。長谷川町子&新FUZENや 純金ファミリー証券といった特殊ロックバンドに在籍し、そこでは、以前からやろうと 思っていたアレンジされた部分にインプロヴィゼーションの要素を取り入れた感覚的なバンド サウンドに取り組む。 それと平行してオリジナル曲のアルバム制作も続けている。
 コンピュータは、94年まで会社でソースコードを書く程度にしか使っていなかっ たが、95年よりマックを導入。音楽的にシーケンサ、サウンドファイルの改造、オプコード MAXによるオリジナル音楽ソフトの作成など様々なことに使っている。当初は、反コンピュータ 派だった私だが、今となっては生活必需品となってしまった。
 インターネットは、96年3月から始めた。インターネットを通じて知り合った方も増えてきて、 そんな中で知り合ったアンドロジーナというバンドにギター奏者等 として参加したり、流動性即興音楽団体Sarigama Oil Venging Orchestraへの参加、江戸川区の 電子音楽家米本実氏やクジラ飛行机の山本峰章氏とのコラボレーションといった活動がある。その他 近年の活動については、本ホームページがもっともそれをよく伝えている。インターネットにより 活動の幅が広がったのは間違いない。

好きな音楽家(他にもいますが一応目安です)
日本:京都ザ田吾作、YMO、電気グルーブ、オノヨーコ、ヒカシュー、ケン・イシイ、早坂文雄
   佐藤勝、野坂昭如、武満徹
イギリス:ビートルズ、キングクリムゾン、XTC、ジャパン、ヘンリーカウ、エイフェックスツイン
     キャラバンやソフトマシーン等カンタベリー系の人々、ロキシーミュージック、デビッドボウイ
イタリア:アレア 
フランス:マグマ、ゴング、クロード・ドビッシー、モーリス・ラヴェル
ドイツ:カルルハインツ・シュトックハウゼン、カン、タンジェリンドリーム、クラフトワーク、
    グルグル、ファウスト、ハードフロア
アメリカ:フランクザッパ、トッドラングレン、バーズ、レジデンツ、キャプテン・ビーフハート
    スティーリーダン、ボブディラン
その他:アルバンベルク、アルノルトシェーンベルク、アントン・ウェーベルン、イゴール・ストラ
    ビンスキ、ギョルギー・リゲティ


ホームへ戻る